平日だから自由席でもいいかと思ったけれど、車内はあまり広くないという評判を聞いたので指定席にしておいた。
しかし予想していたとおり、ホームにいる人はまばら。
特急に乗るのが初めての僕は、待ち位置すらわからない。
ほどなくして電車が入ってきたことが救いだった。
僕は切符を確認しながら窓側の席に座る。
前の座席との間隔は新幹線ほど広くはなく、見慣れない足置きがさらに場所をとっている感じがしたが、小型のスーツケースなら足元に置けた。
日本三大車窓のひとつが見られるという評判通り、車窓からの眺めは美しかった。
紅葉が終わった木々の中を駆け抜け、視界が開けると遠くまで田園風景が見渡せる。
ときには朝日に照らされる川を見下ろしながら走っていることもあった。
地元ではあまり見ないそれらの景色が僕にはいちいち新鮮で、自分が新しい一歩を踏み出しつつある実感を深めてくれる。
新生活を始める土地に行くのは今回が初めて。
目的の駅までは2時間半ある。
ガタゴト揺られながらぼんやり車窓を眺めていると、この1年の疲れが癒されていくように思えた。
去年から始まったコロナ禍は結局今年も収まらなかった。
コロナは今も大切な人や文化を奪っていく。
だがその裏で、世の中の流れとは関係なく何かを失う人もいる。
僕は今年に入ってすぐ出版社の仕事を辞めた。
事情を知らない周囲の人はみな、コロナ禍だから、と気の毒そうに言ってくれるけれど、退職とコロナはなんの関係もない。
ただ人間関係がうまくいかなかっただけだ。
社内は深刻な人手不足でいつもピリピリしていた。
仕事のできない僕は厄介者扱い。
何かやらかすたびに先輩からは部屋中に響く大声で叱責され、笑いものにされることもあった。
それでもできる限り明るく振る舞っていたのだが、本当は自分を騙していたのだと思う。
僕は働くうちに感情を失っていった。
嬉しいことがあってもすぐに嫌なことが起こるからなるべく舞い上がらないように、辛いことは当たり前のように起こるからなるべく心が傷つかないように。
そんな日々を送っていたある日、あの出来事が起こった。
それは去年の12月、年末が控える繁忙期だった。
忙しさで手が回らなかった僕はあるミスをした。
そしてそれは例の先輩によってすぐ発見された。
また言われるのか。そう思った。
しかし注意されたのは僕ではなかった。
先輩は、ミスをしたのはアルバイトの子だと勘違いしたらしい。
あのときの僕は愚かだった。
自分を守るために、名乗り出ることなく黙って他人にミスをなすりつけ、怒られずにすんだと安堵していたのだから。
もちろん、天はその罪を見逃しはしなかった。
先輩がその場を去ると、私の代わりに怒られた彼はすぐに僕のところにやってきて、僕のミスだと指摘したのだ。
僕は謝罪し、許してもらえたけれども、自分を恥じる気持ちは消えなかった。
それから間もなく、僕は退職を決意した。
以前から人間関係のストレスはかなり溜まっていたし、自分が自分ではなくなっていく感覚もあったのだが、この出来事が退職の大きな理由になっていたのは間違いない。
どうして僕はあのときすぐ名乗り出なかったのだろう。
僕は自分の弱さに負けたのだ。
そして自分に失望した。
もうこの場にいてはいけない人間になってしまったように感じて、周囲から卑怯者だと後ろ指を指されているような気がして、逃げるように退職した。
そう、僕は逃げたのだ。
その後、僕は無職になった後ろめたさから友人とも疎遠になっていった。
こちらの方は、コロナ禍だから、ということにしている。
実家にいながら僕は孤独だった。
両親は今まで通り接してくれるものの、自分がみじめだった。
社会になじめない人たちが他人を襲ったと報じるニュースを眺めながら、いつか自分も…と思わずにはいられない。
そうして家にこもっているうちに年が明けた。
今年に入ってもしばらくは憂鬱な気分が続いていた。
しかしある日、偶然テレビで観たある舞台をきっかけに僕は救われることになる。
僕自身は演劇に対してなんの興味もなかったが、その日は親が観ていたのでなんとなく僕も観ていたのだ。
そして驚くべきことに、その舞台を観終えたとき僕は感動で泣いていた。
就職してから感情に蓋をしていた僕。
気がつけば感情が動かなくなっていたはずなのに。
この経験は僕にとって衝撃だった。
さらに僕はこのとき、ある役者さんの演技に惹かれていた。
彼女の名前は以前から知っていたものの、演じているところをまともに見たのはこのときが初めてだったと思う。
彼女は演じているというより役としてそこに実在していた。
本人とは全く異なるであろう人生を、彼女はあのとき生きていたのだ。
その後、僕は彼女が出演した過去の舞台映像もいくつか観た。
作品ごとに違う人物を演じているにもかかわらず、彼女はいつも自然に役として生きていた。
そのうち僕は役と彼女自身を混同し、舞台上の生き様を通して彼女自身にも憧れを抱くようになっていった。
しかも、そうして彼女から生きる希望をもらううちに、気がつけば僕は自分が見知らぬ人に刃を向けるのではなどという心配をまるでしなくなっていた。
あの人の演技には道を踏み外しそうな人間を正しい道へ導く力がある。
そう確信するほどに惚れ込んでいた。
その確信は今でも変わってはいないのだが。
今度彼女が舞台に出演する際には必ず観に行こう。
彼女もかつてはコロナ禍で舞台が延期になり、自宅で我慢の日々を過ごした時期があったのだ。
ライブ配信もいいが、直接拍手を届けたい。
繰り返し通うことは難しいけれど、これからは彼女が出演するすべての舞台を観に行くことを目標にしよう。
そう思い始めたあのとき、僕は幸せだった。
ずっとあの夢のような時間が続けばどんなによかっただろう。
僕は現実に背を向けて、夢を見ながら生きていけただろうに。
だが結局、夢を見ながら生きていくなんてフィクションの世界でしか許されないことなのだ。
春、待ち望んでいた彼女の出演舞台が発表された。
しかし、家にずっとこもっていると自分の人生について考え込んでしまうのは僕だけではなかったようだ。
いや、本当の理由はわからない。
春、彼女はその舞台を最後に、芸能界を引退すると発表した。
僕は今年、仕事と生きがいを失った。
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