タルトの話

『シラノ・ド・ベルジュラック』(エドモン・ロスタン:作、辰野隆・鈴木信太郎:訳/岩波文庫)を読んでおくと
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家にいても何もやることがない。

そんな悩みを抱えているのは、現状、ひとりふたりではありますまい。

「あー、だり~。やることなんもねえ…」

その日、こたつ亀になっているべーもんも自宅で時間を持て余していました。

もっとも、彼は常日頃から休日はこんな感じではありましたが。

「遊びに行くとこどこもねえし…。部屋片付けんのもだるい…。てか腹減ったわ。まずは昼飯だな…」

さすがの彼でも空腹には勝てません。

しぶしぶこたつから出てキッチンをあさってみますが、あるのは冷凍食品・カップラーメン・レトルト食品だけ。

べーもんはそのラインナップを見てうんざりした表情を浮かべていましたが、今から買いに行くのも面倒だと思ったのでしょう。

カップラーメンを手に取り、お湯を沸かし始めました。

べーもんが自炊することは基本的にありません。

スーパーやコンビニで、冷凍食品やレトルトなどの日持ちするものをまとめて購入し、1週間を乗りきるのが常です。

「中食でも健康的な食生活は可能」というのが彼のモットーで、冷凍のおにぎりで糖質の摂取量を抑えつつ、サラダチキンや魚惣菜でタンパク質を摂取し、冷凍の野菜も購入するなど、自炊しないわりには栄養バランスを意識しているため、誰も彼に自炊を勧めようとはしません。

また、コンビニやスーパーにまとめ買いに行くときは、当日用として消費期限が短い揚げ物・弁当などの惣菜や生野菜のサラダを、翌日用にパンや冷蔵の麺・丼もの、パウチタイプのサラダなどを購入すると決めていて、食事に飽きることもないようです。

彼が唯一頭を使うのは、商品の消費期限からその場で今後数日分の献立を組み立てて、いかにまとめて食料を確保するかを考えるときぐらいだとすらいえるでしょう。

ときどきは外食やお取り寄せをすることもあり、食を人生の娯楽として満喫しているのです。

では、普段ならあらかじめ献立を決めているはずの彼が、どうして今日のような状態になったのかといいますと、それは以前、外出する機会を極力減らすために、日持ちする冷凍の米飯やカップラーメンに狙いをしぼって購入したことが原因なのです。

おかげで外出の回数は減ったものの、代わり映えしない食事に彼はテンションが下がりきっているのでした。

カップラーメンの完成を待っている間も無表情、ずるずると麺を吸い込んでいく間も無表情。

普段の彼を知っている友人がこの光景を見たら、それは驚くことでしょう。

なんの感情もわかないまま食事を終えたべーもんは、再びこたつに横になります。

しかし、彼は決して食への欲求を失ったわけではありません。

かえって同じような食事を繰り返したことで、その欲求は高まりつつありました。

「あー、たまにはスイーツが食いてえ…」

そう、彼がこだわるのは1日3度の食事だけではありません。

彼は甘いものも大好きです。

食事がつまらないなら、スイーツにこだわれば良い。

彼の思考は至って単純なのです。

「もう無理! 我慢できない! コンビニ行ってこよ!」

カップラーメンを食べたことで少しは元気が出たのでしょうか。

彼がそう決心したのは、ちょうど気温も上がり、近所の野良猫も餌を探しにそこらの家を訪ね始める頃のことでした。

コンビニのスイーツといっても、洋菓子・和菓子・焼菓子などさまざまな種類がありますが、ずっと同じ食事を繰り返してストレスがたまっているべーもんからすれば、上品な和菓子を選ぶ気分にはとてもなりません。

スプーンやフォークさえ使うのが面倒になるくらい、彼はスイーツに飢えていました。

豪快に手づかみでかぶりつけるシュークリームやクレープなら、と思われるかもしれませんが、彼にとってクリーム系のスイーツはほぼ飲み物に近い存在です。

ここまでで彼の狙いは自然と焼菓子にしぼられます。

手づかみで食べられる焼菓子といえば、バウムクーヘン・フィナンシェ・ワッフルあたりが定番でしょうか。

しかし、彼はこのとき、その定番を選びませんでした。

理由は簡単です。

手づかみで食べたときに手がベトベトするのが嫌だからです。

さすがのべーもんでも、いつもなら袋から少しずつ出して器用に食べるところでしたが、その日はわがまま貴族が山積みになったお菓子をなんとはなしに取って、暇つぶしがてら食べるような贅沢が味わいたかったのです。

そこで彼が選んだのはタルトでした。

タルト生地ならそれほど手を汚さないだろうというなんとも安直な考えからでしたが、貴族感を味わいたいときにはぴったりのスイーツかもしれません。

ところで、タルトと聞いたとき、みなさんはどのようなものを想像しますか?

色とりどりのフルーツが敷き詰められた大きなホールのタルト、シンプルなチーズタルト、お店で出てくるカットされた三角形のタルト、コンビニでもよく売られている手のひらサイズのタルト…。

厳密には、切り分けて食べる大きなものがタルトであり、1人用の小さなものはタルトレットと呼ばれています。

そのため、べーもんが選んだのもこのタルトレットにあたるわけです。

さらには、フランスのタタン姉妹が作ったタルト・タタン(煮たリンゴにタルト生地を被せて焼き、ひっくり返して食べるタルト)や、サントノレ通りの菓子屋の主人であり、詩人・喜劇役者でもあったラグノーが作ったタルトレット・アマンディーヌ(タルト生地にアーモンドクリームをつめたあとアーモンドスライスをのせて焼き、最後にアプリコットジャムを塗ったタルトで、単にアマンディーヌとも呼ばれる)など、その種類は豊富です。

そんななか、彼が買ってきたのはガトーショコラタルトとキャラメルアーモンドタルトの2つ。

まずはガトーショコラタルトからいただきます。

タルト生地とガトーショコラの間違いない組み合わせ。

さらに中央には砕いたナッツが飾られています。

袋を開けると漂うチョコレートの良い香り。

ひとくちかぶりつくと、しっとりしたガトーショコラに前歯が沈み込んでいきます。

タルト生地もほろほろと柔らかく、ストレスなく割れてくれます。

「うま! ガトーショコラの甘さでイライラが吹っ飛ぶ~! あ~、スイーツの優しさに包まれてる感じ…」

濃厚なガトーショコラの食感とタルト生地の優しい食感、それぞれの厚さのバランスがちょうど良い…と思っているうちに、中央のナッツに到達。

ナッツの香ばしさとカリッとした食感が加わります。

ナッツをかみ砕く幸せな音を聞くたび、ストレスが解消されていくかのようです。

ガトーショコラタルトを食べ終えたべーもんは、続けてキャラメルアーモンドタルトにも手を伸ばしました。

キャラメルでコーティングされたスライスアーモンドが、タルトカップいっぱいに敷き詰められたタルトです。

袋から取り出すと、表面のアーモンドが蛍光灯に照らされてキラキラ輝きます。

タルトにかぶりつくべーもん。

と、彼は数秒間その状態のまま動きません。

といいますのもこのキャラメルアーモンドタルト、先ほどのガトーショコラタルトとは異なる食感だったのです。

タルト生地は硬めでさくさく、思いきって歯を入れないと割れません。

さらに、キャラメリゼされたアーモンドスライスの下には、ねっとりとしたキャラメルの層が隠れており、かみ切らせまいと抵抗します。

ひとくち食べた味の感想は…。

「キャラメルポップコーン思い出す! あの固まってるところ!」

キャラメル味のアーモンドスライスにタルト生地という組み合わせからは、フロランタンのほうが近いようにも思われますが、間にキャラメルの層があることでよりキャラメルのインパクトが強くなっているようです。

歯に張りつきやすいので、ひとくちひとくちを噛みしめるように食べ進めます。

鼻に抜けるキャラメルの香りと体に染み渡る甘さに、気分はまるで海外のカフェで過ごすお洒落なティータイム。

昔の貴族はこんな美味しいものを日々食べていたのでしょうか。

なんともうらやましい限りです。

食べ終わる頃にはさっきまでの無気力さはどこへやら、べーもんの表情は生き生きしていました。

気持ちも海外から帰ってきません。

居酒屋で仲間と陽気に語り合い、劇場では美しい貴婦人に一目惚れ。

ときに言い争うことはあっても、自分のことを理解してくれる友人がそばにいてくれる。

時間にも仕事にも縛られることなく、芸術を愛し人を愛し、自分の理念を持って生きる幸せな日々。

しかし、それはあくまでも彼の妄想の世界。

実際目の前にあるのは、物が散らかり放題のこたつテーブルです。

「理想の生活を送るためには…。まず部屋の片付けだな」

久しぶりにやる気を出したべーもんなのでした。

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