辛抱することを決めた日の話

『戯作三昧・一塊の土』(芥川龍之介/新潮文庫)を読んでおくと
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さっつんとだいだいが久しぶりの再会を果たしたのは、梅雨の明けきらない7月半ばのことだった。

2人はラベンダー畑の前にいた。

確か朝の天気予報では、しばらく続いていた雨がやみ、晴れて夏らしい気温になると言っていた。

家のほうは真夏日だろうか。

さっつんは近くに設けられていたベンチにもたれてそう考えた。

ここは標高が高いし風も通るから夏でも涼しい。

ラベンダーから少し離れたこの場所でも、風にのって香りが届く。

だいだいとのデートにここを選んだのは正解だった。

「さっつん、嬉しそうにしてるね」

「うん! こうして久しぶりに会えたんだもん。それにここすごくきれいだし、涼しくて快適」

だいだいはさっつんの笑顔が好きだった。

この笑顔を見ると彼女のために頑張ろうと思えた。

さっつんもまた、だいだいの笑顔が好きだった。

彼の笑顔を見ると心が落ち着いた。

ただし、いつでも今という時間に集中できるだいだいとは違って、さっつんには始まりと終わりをセットとして捉える癖がある。

そしてだいだいの笑顔を見た瞬間、その悪い癖が顔を出した。

彼女はまず、だいだいと過ごす時間はなんて幸せなのだろうと思った。

それに対して、昨日までの会えずにいた日々がどれだけ辛かったかも思い出した。

その次に、会えなくなるなんて思いもよらなかった、それ以前の日々にも思いを馳せた。

そこまで考えたところで、彼女の思考は未来へ飛び、この幸せな時間にも終わりが来ること、再び離ればなれになったらまたしばらく会えないだろう現実に直面した。

せっかくだいだいと会っているのに、そんなことを考えるのは良くない。

さっつんは自分の考えを忘れようとした。

しかし、すでに彼女はまもなく訪れる別れのことで頭がいっぱいだった。

そうして、自分の考えを口に出そうか迷った。

でも、こんなことを言ったら、だいだいまで悲しい気持ちにさせてしまう。

それもわかっていた。

しかしその一方、さっつんはいつも彼の前では正直でいたいと思っている。

これまでも自分の気持ちを素直に表現してきたのだ。

自分の気持ちを押し殺して無理に明るく振る舞うのは、かえって彼を騙しているように思えた。

そして自分のことも欺いているように思えた。

「次はいつ会えるかな?」

さっつんはできるだけ暗い雰囲気にならないよう心がけた。

しかし前を向いてラベンダー畑を見つめながら言ったので、その試みが成功したかどうかは確認できない。

「ん~。そのうちまた会えるよ」

だいだいの答えはさっつんの想像より気楽なものだった。

物足りない。

別にだいだいは自分との会話が退屈なわけでも、先の発言に機嫌を悪くしたわけでもないことは知っていた。

けれども、それと同時に、自分が抱く不安な気持ちをすくいとっての発言でないことも知っていた。

彼は、さっつんの言葉を文字通りにまっすぐ受け止めて、それに対して「わからない」以外の前向きな答えを用意しただけなのである。

彼女がそれを聞く前にどれだけ逡巡したかは一切想像していない。

このようなすれ違いは2人の間でよく起こった。

こんなとき、さっつんはいつもだいだいのことを単純だと怒ったが、彼のほうではなぜ彼女がここまで怒っているのかわからず、途方に暮れるのだった。

けれども、物事を考えすぎる人間同士がいつも一緒にいるときっと疲れてしまうから、実は相性の良い組み合わせなのだろう。

さっつんはだいだいに不満を抱いたとき、毎回自分の考えをすべて説明した。

放出したと言ったほうが正しいかもしれない。

彼女はだいだいの前では常に子どもだった。

一方のだいだいは、彼女の考えを理解すると、いつもさっつんの想像以上の答えを提示した。

彼女はだいだいを改めて尊敬し、事は自然と収まる。

それがいつもの流れだった。

しかし、さっつんはお決まりの流れに入りつつあってもそれに気づくことはない。

彼女は毎回自分の感情に真剣だった。

そしてそれは今回も同じことだ。

彼女は自分の考えが相手に伝わっていないことを察した。

「あのね、私、しばらく会えなくなるのが嫌なの。だいだいは嫌じゃないの?」

「僕も寂しいと思うよ」

「私もね、だいだいにしばらく会えなくてとっても寂しかったの。だから、今度は私のほうから会いに行こうかな! そうすれば、すぐにまた会えるでしょ?」

「う~ん、まあそうだけど、今はまだ、あんまり会わないほうがいいんじゃないかな」

「どうして? 私と一緒にいるのは嫌?」

「そんなことはないよ。僕もさっつんと一緒のほうが嬉しいよ」

「お互いに会ってるときのほうが幸せだと思うのに、2人とも会うの我慢して寂しい思いしてるの、おかしいよ! 会えなくても心は繋がってるってみんな言うけど、やっぱりこうして直接顔を合わせられないのは辛いもの。私はだいだいと一緒にいたいんですもの。どうしてそんなこと言うの? また会えなくなるなんて嫌だ…」

ぐずって泣きそうになるさっつんの頭を優しくなでるだいだい。

大人しくなでられているだけのさっつんは、辛い気持ちを表情に出さないよう、だいだいが必死にこらえていることに気づかない。

「さっつん。あんまり癇癪を起こしちゃいけないよ。僕だって会えなくなるのはとっても辛い。辛いけど、この世には命より大切なものはないんだよ。僕はね、さっつんにいつまでも元気でいてほしい。さっつんになにかあったら困るから、寂しくても我慢しようって決めたんだ。命だけは、誰かにあげることができないから。それに、僕たちの自分勝手で周りの人に迷惑をかけることも、絶対に避けなければならない。だからさっつんも、今はよく辛抱するんだよ?」

「…辛抱したら、また会える?」

「大丈夫。そのときが来たら、ちゃんと会えるよ。だから今は、信じて待とう。さっつんには、それまで毎日、明るく過ごしてほしいな」

「…わかった」

再び自分に向けられた笑顔を見て、さっつんはこのときを忘れずにいようと思った。

そして、だいだいと交わした約束を守ろうと誓った。

その後2人は、ラベンダー畑の前でさまざまなことを語り合った。

日常のなかのちょっとした出来事からこれまで2人で訪れた旅行の思い出、そして次会ったときにしたいこと。

さっつんもだいだいと同じように、心からこの瞬間を楽しむことができた。

いよいよ彼と別れるそのときも、さっつんは泣かなかった。

今度いつだいだいと会えるのかはわからない。

そう思うとやっぱり少し切なくなってしまう。

それでも、いつか会えたそのときにだいだいを笑顔にさせられる、そんな思い出話をたくさん用意するため、明日からも前を向いて生きていこうと思った。

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