今回紹介する『理想の夫』(オスカー・ワイルド:作、厨川圭子:訳/角川文庫)は、オスカー・ワイルドの四大喜劇のひとつ。
舞台用に台本形式で書かれた戯曲であり、本書の「訳者あとがき」によると、1895年にロンドンのヘイマーケット座にて初演が行われたそうだ。
1999年にはイギリスで映画化され、『理想の結婚』の邦題で日本でも公開されている。
映画に合わせて角川文庫版のタイトルも『理想の結婚』と改題されていたが、のちに絶版になり、しばらく入手困難になっていた。
ところが2022年2月、宝塚歌劇団と新国立劇場で本作の上演が決定。
『理想の夫』にタイトルを戻し、改版のうえ新装復刊となった(※1)。
理想の夫と思っていた人が本当は違うとわかったとき、夫婦関係はどうなってしまうのだろうか。
あらすじ
外務次官のロバート・チルターン准男爵は将来有望な政治家で、高潔な性格でも知られている。
彼の貞淑な妻であるチルターン卿夫人(ガートルード)もそんな夫を崇拝しており、2人は人々が憧れる理想の夫婦だった。
そんなある日、チルターン卿邸のパーティーに社交界の華・チェヴリー夫人がやってくる。
彼女はロバートが若いときにインサイダー取引をした証拠の手紙で彼を脅し、自身が投資した運河計画を議会で支持するよう求めてきた。
過去の不正が暴かれれば現在の地位だけでなく妻の愛も失ってしまう。
窮地に立たされたロバートは友人のアーサー・ゴーリング子爵に相談し…。
軽妙なタッチと予想外の展開
このあらすじを読むと、人間関係がドロドロしたシリアスな物語を想像するかもしれない。
しかし本作は喜劇だ。
登場人物たちのセリフに皮肉などのウィットがたっぷり含まれていて、政治家の不正という重いテーマも軽やかに読めるようになっている。
特に、ロバートの友人で自由な独身貴族であるアーサーの存在は大きい。
本当の彼は頭の切れる哲学者だが、普段は皮肉交じりのふざけた発言ばかりしている。
また、アーサーに限らず、ほかの登場人物のセリフも機知に富んだものが多い。
人間について、愛について、政治について、深い点を突いていながら表面上は笑って読める。
解釈の仕方に幅があるので、読み直してみるとまた違った意味が発見できるかもしれない。
また、本作のもうひとつの魅力は、予想がつかず目の離せないストーリー展開だ。
戯曲である本作は4幕構成で、第1幕を1日目の夜とすると、第2幕は2日目の昼、第3幕は2日目の夜、第4幕は3日目の朝となる。
たった3日間の出来事を描いた作品なのだ。
この短い期間に不正の暴露という危機が訪れ、ときに別の危機へと発展しながら、最終的には収束する。
予想外の展開が次々にやってきて、先が全く読めない。
しかも、第1幕・第2幕・第3幕と、こちらがハラハラするような緊迫した状況で幕が下りる。
テンポの速さとピンチの連続に、どんどん引き込まれてしまった。
理想の偶像が壊れたら
好きな人に自分の理想を重ね、実物以上に神格化してしまう人は多い。
ガートルードもまさにそのタイプだ。
ロバートが間違ったことをするなんてあり得ないと信じている。
彼は確かに高潔な人物であるし、ガートルード自身も同様の淑女ではある。
しかし、世の中に間違いを犯さない人間なんているだろうか?
理想の偶像を創り上げることは、相手を苦しめることにもつながる。
そして万が一、自分の「理想の人」が過去に不正を行っていたことがわかったら。
いわゆる推しの場合なら、ファンを辞めればすむかもしれない。
だが、夫婦の場合はそう簡単にはいかない。
チェヴリー夫人のゆすりによって、ガートルードの夫への愛も試されることになる。
大人の駆け引きが楽しめるおしゃれなラブストーリー
ロバートとチェヴリー夫人の対決を中心にさまざまな駆け引きが展開される本作。
はたして彼はチェヴリー夫人の脅しに屈し、これまで築き上げてきた政治家としての地位を失ってしまうのだろうか。
ガートルードとの夫婦関係は。
そしてアーサーはこの危機からどうやってロバートを救うのか。
ウィットに富んだセリフと先の読めない展開で、最後まで楽しく読める。
ピュアな青春ストーリーとは異なる、大人向けのラブストーリーを読みたい人、ハッピーになれる喜劇が好きな人におすすめだ。
人は理想を求めて生きる。
しかし、理想の人間であろうとすることは、自分の首を絞める危険性もはらんでいる。
その点、哲学者でありながら人生をもてあそぶ、アーサーのような生き方はなんだか羨ましい。
誰かの理想になろうとするのではなく、その人のままで生き、その人のままで愛される、それが最も幸せだ。
参考記事
※1 Book Bang「宝塚・星組公演「ザ・ジェントル・ライアー」の原作、22年ぶりの復刊―― 『理想の夫』文庫巻末解説」
国立大学にて日本文学を専攻。
一般企業に就職したのち、フリーランスのWebライターに転身。
クラウドソーシングサイトを通じて、大手出版社が運営する本のポータルサイトに書籍レビュー記事を投稿した経験を活かし、2019年に書籍・情報サイト「いかけや日記」を開設。
2020年頃、宝塚歌劇団のファンに。
舞台の原作本を読む機会が増えたことから、2024年、「いかけや日記」を宝塚原作本の紹介を中心としたサイトへとリニューアル。
なお、読書スピードは超スロー。