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不羈独立の光(『シラノ・ド・ベルジュラック』エドモン・ロスタン:作、辰野隆・鈴木信太郎:訳/岩波文庫)

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シラノ・ド・ベルジュラックは17世紀フランスに実在した人物で、哲学者、理学者、作家、剣客として知られている。

エドモン・ロスタンによる本作で一躍有名になり、フランスでの人気ぶりは『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンや『三銃士』のダルタニアンに並ぶほどだ。

戯曲である本作は1897年の初演以降、フランス内外を問わず何度も再演され、ミュージカル化・映画化もされている。

日本でも1931年に歌舞伎の形で上演されたのを皮切りに、さまざまな劇団がそれぞれの解釈のもと上演しているので、その名を知っている人も多いだろう。

なお、日本では現在、岩波文庫・旺文社文庫・光文社古典新訳文庫の3つの訳本が存在している。

この記事では、岩波文庫をもとに作品の魅力を紹介するとともに、光文社古典新訳文庫との比較も行った。

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あらすじ

シラノ・ド・ベルジュラックは向かうところ敵なしの剣客であり、才能にあふれた詩人でもあるが、鼻が大きく、その容貌はとても美しいとはいえない。

ひそかに従妹のロクサアヌに恋心を抱くも、外見のコンプレックスゆえに想いを打ち明けられずにいた。

そんなある日、シラノはロクサアヌが彼と同じ青年隊に所属する美男・クリスチャンに恋していることを知る。

一方のクリスチャンもロクサアヌに恋しているのだが、口下手で愛の言葉ひとつ言えないという。

みかねたシラノは、クリスチャンに愛の言葉を教え、ロクサアヌへの手紙を代筆することにするのだった…。

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美しき心を持つ豪傑

本作の魅力は多々あるが、個人的に最も心惹かれたのはシラノの豪傑さ、そして言葉と心の美しさだった。

シラノは優れた剣士で、彼に剣で勝てる者はいない。

また、彼は喧嘩っ早い性格で、気に入らない奴がいれば相手が誰であっても喧嘩をふっかける。

作中で「鼻声の奴がね、鼻で口をきいたのが彼奴の気に障(さわ)って、二人まで命を落した」と噂されるほど過激だ。

群れることを嫌い、人をからかうことも多いので敵を作りやすいタイプなのだが、相手が大勢でも、たとえ勝てる見込みがなくても、彼は敵に立ち向かう。

そのように勇ましい部分もありながら、憎まれ口をたたいて嫌われようとする姿は愛しくもある。

「打てば響く毒舌の名人」と自ら形容しているように口が達者だが、彼が得意なのは毒舌だけではない。

シラノがクリスチャンの代わりにロクサアヌへ恋を語る場面は、本作の大きな見どころになっている。

美しさはもちろん、切なさも感じられる場面だった。

あれほどロマンチックな言葉で口説かれたら、ロクサアヌでなくともうっとりしてしまうに違いない。

また、恋の文句だけでなく、それを語る声も美しい。

そう、シラノは外見が醜いだけで、心や声など、それ以外の部分は美しいのだ。

この時代の作家は、貴族をパトロンに持つことで自らの地位を確立し、生活の支援もしてもらっていた。

しかし、シラノは人に媚びることが大嫌いで、パトロンを持とうとはしない。

パトロンを持てば生活に困ることはなくなり、名声も手に入る、実際彼にはそれだけの実力があることを多くの人が認めているのだが、彼は自分の好きなように美しく詩を読むことをなによりも大切にする。

生活苦になってもかまわない、名声のために他人の機嫌を取るのはごめんだ、という考えなのである。

このような考え方は一般的には理解されず、喧嘩っ早い性格と相まって敵を増やすことになるが、シラノは全く気にしない。

人に頼ったり甘えたりすることなく自分の力で生きるのがシラノだ。

そして彼は、自分の存在は知られなくとも、自分の詩で人が喜ぶことを何よりの幸せだと考えている。

自分が幸せになることよりも、自分の愛するロクサアヌと、彼女が愛した美しいクリスチャンとの恋を優先させるのだ。

自分の幸せのために権力者にごまをすったり人を出し抜いたりせず、他人からの評判も気にしない、ただひたすら誠実に、自分の理想通りの人生を生きる――。

そんな強い心を持つシラノの生き様は、誰よりも美しい。

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岩波文庫版と光文社古典新訳文庫版との比較

さて、これから本作を読もうとしている人のなかには、どの出版社の訳本を購入しようか迷っている人もいるのではないだろうか。

そこでここからは、3つある訳本のうち比較的入手しやすい岩波文庫と光文社古典新訳文庫の『シラノ・ド・ベルジュラック』を比較し、それぞれの特徴を紹介する。

シラノの口調について

翻訳者が違うといっても、どちらも同じ『シラノ・ド・ベルジュラック』なので、本文に目立つ差異はない。

ただ、細かい部分にこだわるなら、シラノの口調に若干の違いが見られた。

やや長いのだが、ここに第一幕第四齣からシラノのセリフを引用する。

まず、岩波文庫では以下のようになっている。

シラノ 俺の都雅(みやび)は胸(ここ)の中だ。半可な貴族たァわけが異(ちが)うぞ、下らぬおしゃらくはそっち除(の)けで、心の手入れをしているのだ。雪(すす)がぬ恥辱、ねぼけ眼(まなこ)のぐうたら良心、汚(よご)れ腐った名誉心、生き血の通わぬ腰抜け魂なんざあ、忘れても持っちゃ出ぬわい。不羈独立と誠実とを羽根飾にして靡かせながら、一歩を踏み出しゃ後光(ごこう)がさすわい。胸当(コルセエ)を附けて反り返るなあ、しゃら臭せえ体(からだ)とはわけが異うぞ、この魂だあ。身のまわりを華やかに飾るなあ、リボンじゃあない、偉功(いさしお)だあ。矢たけ心を髭と一緒に天に向け、集団、円陣踏み越え乗り越え、拍車のように「誠」を響かすのだ。

『シラノ・ド・ベルジュラック』p.54-55(エドモン・ロスタン:作、辰野隆・鈴木信太郎:訳/岩波書店/1951)

同じセリフが、光文社古典新訳文庫では以下のようになっている。

シラノ 俺の雅びは心のうちだ。いいか、
 半端な貴族なんぞとは訳が違う。
 下らぬお洒落はそっちのけで、心の手入れに怠りない。
 間違っても、雪(そそ)がぬ恥辱、寝ぼけ眼(まなこ)の
 ぐうたら良心、汚(よご)れ腐った名誉心、生き血の通わぬ
 腰抜け魂、そんなものは持ち歩かん。
 歩く姿は後光(ごこう)が射すぜ、頭に挿した羽根飾りの言わんとするは、
 独立不羈(ふき)、誰の世話にもならん、言いたいことは言う。
 反(そ)り身になって見せるのは、見場(みば)のいい
 体じゃねえ、俺の魂そのものだ。
 リボンの代わりに靡(なび)かすのは、俺の武勲、
 髭と同じく天に向けたるこの才知、
 集団、円陣踏み越え踏み越え、拍車のように
 打ち鳴らすのだ、真実を!

『シラノ・ド・ベルジュラック』p.70-71(ロスタン:作、渡辺守章:訳/光文社/2008)

全体としては同じ意味だが、印象がわずかに異なるのが伝わるだろうか。

岩波文庫のほうはやや難しい言い回しがあるものの、荒々しい口調によってシラノの詩の才能と豪傑さのギャップが際立っているように感じられた。

一方の光文社古典新訳文庫は、比較的わかりやすい言葉遣いで理解しやすい反面、荒々しさは抑えめになっている。

どちらの口調を選ぶかは個人の好みだが、舞台や映画を見る前に予習として原作を読む場合、あるいは舞台や映画を見たことで原作に興味を持った場合は、シラノを演じる役者のイメージに近いほうを選んでも良いだろう。

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表記について

表記については、比較を行う前に戯曲である本作の特徴について少し触れておきたい。

本作は普通の小説とは異なり、戯曲、すなわち演劇の台本形式で書かれている。

地の文はなく、わずかなト書きとセリフのみなのが特徴だ。

本作は、最初に初演でシラノ役を演じたコンスタン・コクランへの献辞があり、登場人物一覧、幕の時代設定(本作は全五幕あり、第一幕から第四幕は1640年、第五幕は1655年に設定されている)が記されたあとで第一幕第一齣が始まる(岩波文庫では「齣」、光文社古典新訳文庫では「場」)。

また、それぞれの幕の始めには舞台装置の指定が、齣の始めにはそこで登場する人物の名前が記載されている。

この点については、岩波文庫も光文社古典新訳文庫も同じだ。

ではどの部分が異なるかというと、本作が「アレクサンドラン(十二音節)定型詩句」で書かれた韻文作品であることに対する扱いの点だ。

原文は決まった音節にアクセントがあり脚韻も踏んでいるが、日本語に訳すとそれがわからなくなってしまう。

この点について、岩波文庫が全体的に散文の形で訳しているのに対し、光文社古典新訳文庫は韻文作品として忠実に表記している。

もう少し具体的に説明しよう。

本作には1行の詩句を複数人のセリフとして分割している場面が多々ある。

岩波文庫では散文劇と同じようにセリフを発する人物ごとに改行しているだけなので、原文ではどこからどこまでで1行の詩句になっているのかがわからない。

一方、光文社古典新訳文庫ではそのように1行の詩句が分割されている場合、セリフを発する人物ごとに改行しながらも、次のセリフの文頭を前のセリフの文末の辺りまで下げることで、もともとは1行であることがわかるよう工夫されているのだ。

この点が表記の違いとして挙げられる。

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訳注について

岩波文庫と光文社古典新訳文庫の大きな違いは、訳注ではないかと思う。

岩波文庫には訳注がないが、光文社古典新訳文庫にはそれがある。

ただし、必ずしも訳注があるほうが良いというわけではなく、どちらもメリット・デメリットがあるように感じた。

まず、岩波文庫のほうは訳注がないので、ストーリーを妨げられることなく、世界観に没頭できるのがメリットだ。

説明がないのでところどころわからない部分はあるが、詳しい説明は最後についている訳者の解説にまとめられているので、それを読んだときに新たな発見があるのも面白い。

改めて読み直したくなるだろう。

それに比べて、光文社古典新訳文庫にはかなり詳しい訳注がある。

登場人物一覧をまとめた冒頭のページから訳注がついており、それぞれの人物について詳しい説明がされているのだ。

岩波文庫では誰が重要人物なのかわからない状態で読み始め、自分なりにそれぞれの人物像を作り上げながら読み進めていくが、こちらはある程度先入観を持った状態で物語を読み始めることになるだろう。

続く第一幕冒頭の舞台装置の指定を記載した部分についても訳注が詳しいので、理解は深まるが、本編に入るまでが長い印象だ。

また、訳注があることで物語の流れが遮られてしまう点や、理解を深めるために先の展開を訳注でネタばらししてしまっている点などはデメリットに感じる人もいるのではないだろうか。

もちろん、訳注があることのメリットも多い。

例えば、作中に登場する実在の人物や場所、典拠となっている作品についての解説もその都度なされているので、フランスの歴史や文学作品に関する知識を得ることができるだろう。

また、先述したように光文社古典新訳文庫は本作が韻文作品であることを尊重しているのだが、その特徴は訳注にも表れている。

シラノたちの会話の中には、韻を踏む言葉遊びのようなやりとりが登場する。

しかし、日本語に訳すと韻がわからなくなるので、岩波文庫では前後のつながりが見えづらい部分があった。

その点、光文社古典新訳文庫は訳注で解説してくれるので、訳文を読んだだけではわからないところも理解できる。

長台詞の前に登場する「渡り台詞」や「割り台詞」の役割にも触れられており、ストーリーだけでなく、技巧面についても理解したい人にはうってつけだろう。

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訳者による解説等について

訳本を選ぶときは、訳し方よりも解説の内容を重視する人もいるのではないだろうか。

岩波文庫の「シラノ・ド・ベルジュラック解説」では、本作によってシラノの名が広まるまでの歴史や、1830年代フランスのロマン主義の流れ、そこに含まれるアンニュイさなどについてまず解説している。

次に、実在のシラノと作中のシラノの共通点と相違点、ロクサアヌを始めとするそのほかの登場人物や作中の事件がどこまで事実に沿って描かれているかについて、ひとつひとつ丁寧に解き明かしていく。

ロスタンがどのように事実を改変したのかを知ることができて面白かった。

そして最後に、気になるシラノの鼻について、実際はどのような形をしていたのか、絵画ではどのような形で描かれ、演劇ではどのような形が採用されているのかにも触れている。

一方、光文社古典新訳文庫では、登場人物や事件がいかに歴史に忠実に描かれているかは訳注ですでに説明しているため、「解題」ではフランスにおける詩と舞台の歴史についての解説が中心だ。

フランスの詩と演劇の歴史における本作の立ち位置、作者であるエドモン・ロスタンの人生と彼が鼻の大きなシラノを主人公に選んだねらい、大成功を収めた本作の魅力、当時沸き起こった賛否両論の声と日本における受容など、岩波文庫よりも演劇の面で深く詳しい解説がなされている。

さらには、「解題」のほかに「エドモン・ロスタン年譜」「サヴィニアン・ド・シラノ・ド・ベルジュラック年譜」「訳者あとがき」がついているのも特徴だ。

「訳者あとがき」では、実際に訳者が本作の舞台演出を行ったときの苦労や工夫についても語られている。

今後舞台を見る際、装置などの演出にも注目するきっかけになるかもしれない。

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舞台とあわせて原作も

最期まで誠実に生きようとするシラノの姿が感動を呼ぶ名作。

初めて戯曲を読む人は最初戸惑うかもしれないが、セリフが中心のため、慣れてしまえばさくさく読み進められるのではないだろうか。

訳注や表記などの観点から、物語として読むなら岩波文庫、詩として読むなら光文社古典新訳文庫が適しているのではないかと感じた。

もちろん、両方とも読めば作品への理解がより深まるだろう。

また、本作の主人公であるシラノの著作は日本でも翻訳されており、岩波文庫から『日月両世界旅行記』というタイトルで訳本が出ている。

実在のシラノ・ド・ベルジュラックについても興味がある人は、そちらもあわせて読んでみることをおすすめしたい。

運営者
かなづち

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