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人の心を動かした愛(『あんちゃん』山本周五郎/新潮文庫)

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以前、このブログでは山本周五郎の『柳橋物語・むかしも今も』を紹介した。

今回はそれに引き続き、同じ山本周五郎作品から『あんちゃん』を取り上げる。

本書に収録されている作品は、感動できるものから、ユーモアたっぷりの滑稽話まで、バラエティ豊か。

そのなかで共通しているのは、どの物語にも男女の愛が登場するということだろう。

そこで今回は、収録作品のなかから、人の心を動かした2組のカップルに焦点を当てて紹介する。

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収録作品・あらすじ

本書は以下の8作品を収録。

  • 「いさましい話」…勘定奉行として国元へ下向した笈川玄一郎が、国元の反発を受けながら財政改革に取り組む物語。
  • 「菊千代抄」…世継ぎがいないため男として育てられた大名の姫君・菊千代の苦悩を描く。
  • 「思い違い物語」…江戸から赴任してきた典木泰三が巻き起こすドタバタ劇。
  • 「七日七夜」…旗本三千石の四男坊に生まれ、兄やその嫁から下男のように冷たくあしらわれる本田昌平が、堪忍袋の緒を切らして家を飛び出した七日七夜を追う。
  • 「凌霄花」…城代家老の跡取り息子である高之介と商人の娘であるひさ江、身分の差がある2人の恋を、いつもそばで凌霄花が見守っている。
  • 「あんちゃん」…妹に道ならぬ行為をはたらいたことを悔いて実家を飛び出した竹二郎が最後に知る驚きの真実。
  • 「ひとでなし」…悪党の力造は、仲間の吉次とともに昔の女房であるおようとその再婚相手の津ノ正を悪事に利用しようとするが…。
  • 「藪落し」…紫水晶を見つけるためにお金も家族も犠牲にして山に入り続けた勘三郎が最後に見つけたものとは。
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「菊千代抄」の竹次&おいく

世継ぎのいない武家に生まれ、女でありながら男として育てられた姫君。

このあらすじだけを見れば『リボンの騎士』のサファイアや『ベルサイユのばら』のオスカルを思い浮かべる人もいるかもしれない。

しかし本作では、自分の身体が女であることに対する生理的な嫌悪感が強く描かれている。

菊千代は自分が女であることを知らないまま育った。

この秘密を知っているのは両親や乳母、侍医などのごくわずかな人間のみ。

菊千代の遊び相手である家中の子どもたちも知らないのだが、彼女より2歳年上の椙村半三郎だけは真実を知っているのだった。

そして月日は流れ、菊千代15歳のとき、彼女の身体にある“変化”が起こり、彼女は自分が女であったことを初めて知ることになる。

それ以来、男の気持ちでいるにも関わらず女として成長していく自分の身体に嫌悪感を抱き続ける菊千代だったが、そんな彼女の内にひそむ感情を呼び覚ましたのが竹次・おいく夫妻だった。

2人はもともと商人だったが結婚を許されず、駆け落ちしたのち百姓をしながら貧しい暮らしを送っていた。

ある日、菊千代は普段無口な2人が激しく言い争っているのを見かける。

喧嘩かと思いきや、それはお互いに苦労をかけることを詫びるいたわり合いの言葉だった。

このやりとりに強く感動した菊千代は、初めて自分を「可哀そう」と思う。

自分は女として愛されたことはなく、これからも愛されることはない。

夫に深く愛されるおいくの姿が、男として生きる菊千代に「羨ましい」と思わせたのだ。

確かに、男として生きる道を選んだのは菊千代自身かもしれない。

しかし、彼女にそう決心させたその生い立ちは、悲劇的としか言いようがないと思った。

また、菊千代が女であることを知りながら彼女をそばで支えた半三郎の姿は、以前このブログで紹介した「柳橋物語」の幸太や「むかしも今も」の直吉に通じるものがある。

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「ひとでなし」の津ノ正&およう

おようと力造はかつて夫婦だった。

しかし力造は博奕や女などの道楽にふけって金を使い込み、おようはかなり苦労させられた。

そして3年前、力造は死体となって見つかったのだ。

一方、彼女の再婚相手である津ノ正は、15年以上おようを待ち続けた誠実な男。

前妻が病気で寝たきりになってから亡くなるまでの7年間、不実なことは決してしなかった。

店も立派に経営し、恋愛感情抜きでおようの生活のサポートまでしてきたのだ。

そんな津ノ正との結婚が決まり、やっとおようも幸せになれる。

それなのに、明後日いよいよ嫁に行くというタイミングで、津ノ正と2人で飲んでいるとき、おようは力造のことを「可哀そうな人」と言う。

悪さをしながら自身も泥まみれ傷だらけになった人だと、そしてその傷や泥は自分にも残っている、津ノ正のような非の打ち所のない人にはそのような人間の気持ちはわからない、だから自分は津ノ正の後妻にふさわしくないと。

力造が実は生きていて、今まさにおようと津ノ正を悪事に利用しようとしているとは知らずにだ。

この会話を盗み聞きしていた吉次は「もういちど人間に生れてきてえ」と思うほど感動する。

そしておようの幸せのためにある決断をするのだった。

同じ悪党でありながら人間としての根っこが違う、力造と吉次の対比が印象に残る。

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真っ直ぐ生きる

竹次とおいくも、津ノ正とおようも、決して誰かに影響を与えようとしているわけではない。

どちらの夫婦も、自分たちの会話を他の誰かが聞いていることには気づいておらず、ただ本心を真っ直ぐ相手に伝えているだけだ。

その言葉には、彼らが普段から抱いている深い愛、真摯な生き方が表れている。

愛や恋といった単語から連想されるロマンスとはほど遠くとも、苦労の絶えない暮らしであっても、彼らは真正直に懸命に生きている。

そんな彼らの愛情の深さは、それを金品に置き換えて求めてしまいがちな現代人の心にも響くのではないだろうか。


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かなづち

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