激しい愛と死(シェイクスピア全集『ロミオとジュリエット』シェイクスピア:作、松岡和子:訳/ちくま文庫)

以前、このブログではシェイクスピアの『十二夜』を紹介した。

今回はそれに引き続き、シェイクスピアの代表作のひとつ『ロミオとジュリエット』を取り上げる。

実は本作はシェイクスピアによるオリジナル作品ではなく、当時すでに存在していたいくつかのロミオ物語を彼が演劇用に翻案したもの。

しかし、彼が在籍していた宮内大臣一座が上演して以来、世界中で繰り返し上演され、今ではシェイクスピアの名作として知られている。

また、ミュージカル化や映画化はもちろんのこと、本作をモチーフとして取り入れた作品も多く存在するので、原作を読んだことがなくてもほとんどの人がこの悲恋物語を知っていることだろう。

そこで今回は、改めて『ロミオとジュリエット』のあらすじを紹介するとともに、本作を読んでみて感じた魅力について書いてみようと思う。

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あらすじ

花の都ヴェローナには、モンタギュー家とキャピュレット家という2つの名家があった。

しかし、両家は敵対関係にあり、たびたび争いを起こしては街の平安を乱していた。

そんなある日、モンタギュー家の一人息子であるロミオは、ロザラインへの報われぬ恋に悩んでいた。

彼を心配した友人のベンヴォーリオは、彼の目を覚まさせるため、キャピュレット家の宴に忍び込むことを提案する。

そして宴の夜、ロミオはジュリエットと出会い、彼女がキャピュレット家の一人娘とは知らずに恋に落ちてしまう。

ジュリエットもまた、ロミオがモンタギュー家の人間とは知らず彼に恋をしてしまうのだった。

相手の家柄を知ったときにはすでに手遅れ、2人は叶わぬ恋に思い悩む。

それでも恋する気持ちは止められず、バルコニー越しにお互いの気持ちを伝え合った2人は、ロレンス神父の助けを借りてひそかに結婚式を挙げる。

しかし、結婚を公にする前に、ロミオはモンタギュー家とキャピュレット家の争いに巻き込まれ…。

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危うさと隣り合わせの激しい愛

本作最大のテーマはロミオとジュリエットの激しくもはかない愛。

実は本作で描かれている日数はたったの5日間で、宴会で初めて出会った翌日に彼らは結婚している。

それほど2人の愛は一気に燃え上がったのだ。

しかし、彼らがまだ10代であることや、出会って間もないこと、さらにロミオはジュリエットに出会うまでロザラインという別の女性に心を奪われていたことなどを考えると、2人の結婚はあまりにも軽はずみな行動のようにも思える。

実際、ロミオは外見の美しさをきっかけにジュリエットに惚れているし、ジュリエットに至っては具体的にロミオのどこに惚れたのかがわからない。

結婚はせめてもう少し相手のことを知ってからにしたほうが良いのでは…とつい心配したくもなるが、これこそが一目惚れというものなのだろう。

よく、結婚相手は出会った瞬間にわかる、という話を聞く。

その真意は定かではないが、この2人も出会った瞬間に理屈では説明できない、運命のようなものを感じたのかもしれない。

また、本当に育ちや性格が良い人は、普段の立ち居振る舞いにそれが表れるもの。

表面的な美しさだけではなく、気品となって身にまとう美しさにお互い惹かれたということも考えられる。

一方、移り気に見えるロミオの恋心については、ロミオがジュリエットとの結婚式を依頼しにロレンス神父のもとを訪れた場面で、ロレンス神父から直接指摘されていた。

そのなかには、次のようなやりとりがある。

ロミオ どうか叱らないで下さい。新しい恋人は
 愛には愛、恋には恋を報いてくれる人なのです。
 前の女はそうではなかった。
ロレンス お前の恋を見抜いていたからだ。
 いわば、綴りも覚束ない言葉を暗唱しているようなものだとな。
 だが、いいだろう、この浮気者、一緒においで。
 ひとつ思うところがある、力になってやろう。
 この縁組がうまくいけば
 両家の確執がまじりけのない愛に変わるかもしれない。

『ロミオとジュリエット』p.84(シェイクスピア:作、松岡和子:訳/筑摩書房/1996)

ロミオは、自分の想いが通じなかったロザラインではなく、両想いになることができたジュリエットこそが運命の相手だと主張する。

それに対しロレンス神父は、ロザラインに想いが通じなかったのは「綴りも覚束ない言葉を暗唱している」ことが原因、つまり言葉に実が伴っていない、ロザラインではなく恋に恋をしていたことが原因だと返す。

しかし、ジュリエットとの結婚が性急だととがめることはなく、モンタギュー家とキャプレット家の対立がなくなるかもしれないという期待をこめてそれを認めている。

もちろん、ロミオは真剣にジュリエットを愛しており、ジュリエットもそれは同じだ。

彼女がバルコニーでロミオへの恋心を吐露し、彼がそれを立ち聞きする以下のシーンは、作中で最も有名だろう。

ジュリエット ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?
 お父さまをお父さまと思わず、名前を捨てて。
 それが無理なら、私を愛すると誓って。
 そうすれば私はもうキャピュレットではない。
ロミオ もっと聞いていようか、今の言葉に答えようか?
ジュリエット 憎い敵は、あなたの名前だけ、
 モンタギューでなくてもあなたはあなた。
 モンタギューってなに? 手でもない足でもない
 腕でも顔でもない、人の体の
 どの部分でもない。ああ、何か別の名前にして!
 名前に何があるの? バラと呼ばれる花を
 別の名で呼んでも、甘い香りに変りはない。
 ロミオ、名前を捨てて。
 あなたの体のどこでもないその名の代りに
 私のすべてを受け取って。
ロミオ その言葉どおりに受け取ろう。
 恋人とだけ呼んでくれれば、それが僕の新たな洗礼。
 今からはもうロミオではない。

『ロミオとジュリエット』p.67-68(シェイクスピア:作、松岡和子:訳/筑摩書房/1996)

愛した相手が敵の家柄だったことに対するもどかしさと、愛しているのはロミオそのものなのだという純粋さが感じられる場面。

現実的に考えてしまえば、彼らのようなマイナス要素に限らず、たとえプラス要素であったとしても、家庭環境や金銭事情、周囲からの評判などを無視し、お互いに一人の男、一人の女として恋をするのは難しいことだ。

最初はその人自身に惚れたつもりでも、結婚を考えるときにはつい計算が働いてしまうこともある。

しかし、ロミオとジュリエットはお互いに相手だけを見つめている。

愛しているから結婚する、ただそれだけ。

逆に言えば、結婚するために必要な条件はお互いの愛だけ、それ以外は関係ないのだ。

そして彼らの愛は、たとえ相手が罪を犯しても信じて愛し抜き、相手がいなくては生きていけないと思うほどに深い。

そのスピード感から危うさも感じさせるが、それ以上に純粋で激しい愛に、現実では難しいからこそ、憧れを抱く。

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運命づけられた死

本作を読んだことのない人でも、ラストでロミオとジュリエットが死んでしまうことは知っている人が多いだろう。

実は、この結末を知っているかどうかにかかわらず、本作のプロローグで彼らの死は予告されているのだ。

以下に、プロローグの場面より序詞役のセリフを引用する。

序詞役 いずれ劣らぬふたつの名家
 花の都のヴェローナに
 新たに噴き出すいにしえの遺恨
 人々の手を血で汚(けが)す。
 不倶戴天の胎内から
 産声あげた幸(さち)薄い恋人
 重なる不運が死を招き
 親の不和をも埋葬する。
 死を印された恋の成り行き
 いとし子の命果てるまで
 終わりを知らぬ親同士の争い
 二時間の舞台で繰り広げ
 ご高覧に供します。
 至らぬところもございましょうが
 ご満足ゆくよう努めます。

『ロミオとジュリエット』p.9-10(シェイクスピア:作、松岡和子:訳/筑摩書房/1996)

最初に本作の要約が提示されたうえで本編が始まる形になっている。

また、プロローグだけでなく、途中の場面でも2人の死を予感させるようなセリフが登場する。

例えば、ロミオがキャピュレット家の宴に忍び込もうとする場面。

ロミオ 早すぎるかもしれない。なんだか胸騒ぎがする。
 まだ運命の星にかかっている重大事が
 今夜の宴をきっかけに恐ろしい効力を発揮し始め、
 非業の死という忌まわしい刑罰を課して
 この胸に宿るふがいない命の期限を切るような気がする。
 だが、俺の人生の舵取る神よ、
 航路を導きたまえ。行こう、みんな、張り切って。

『ロミオとジュリエット』p.49(シェイクスピア:作、松岡和子:訳/筑摩書房/1996)

これ以降の場面でも死を予感させるセリフがたびたび登場しているため、読者は2人に訪れる結末を忘れることなく、ストーリーを読み進めていくことになる。

死が待っているとわかっているからこそ、先に挙げたバルコニーシーンの2人のやりとりはより美しく、そして切なく感じられるのではないだろうか。

また、もしもロミオとジュリエットが当初の計画通りに生きながらえていたとしたら、果たしてどうなっていただろう。

2人の愛は危うさを感じさせるほど一気に燃え上がっていた。

もしかしたら、そのうち冷静さを取り戻して愛情が薄れてしまっていたかもしれない。

皮肉なことだが、運命のいたずらによるあの不幸な死が訪れたことによって、彼らの愛は燃え上がったまま、そして純粋で美しい形のまま、人々の心に残ったのだ。

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美しく悲しい恋愛物語

「ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」というセリフはあまりに有名だが、そこに込められた本当の意味を知るには、やはり原作を読むことが大切だと感じた。

時代や国が変わっても変わることのない、人を愛する純粋な気持ちが描かれていることが、本作が今でも支持される理由のひとつなのだろう。

今回は愛と死を中心に紹介したが、本作には喜劇的要素と悲劇的要素の対比や、若者と老いゆく世代の対比など、ほかにも注目すべき点がたくさんあり、さまざまな魅力が隠されている。

また、最初に述べたように、本作はもともとシェイクスピアが演劇用に翻案したもの。

舞台や映画で、役者たちの演技や美しい演出とともに味わってみると、また違った印象を受けるかもしれない。

それらの作品を、原作を読んだときの印象と比較しながら楽しんでみるのもおすすめだ。


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