今回は芥川龍之介作品のなかから新潮文庫の『戯作三昧・一塊の土』(芥川龍之介/新潮文庫)を取り上げる。
本書に収録されているのは、“江戸期もの”や“明治開化期もの”、当時の社会を舞台にした写実小説などだ。
収録作品・あらすじ
本書は以下の13作品を収録。
- 「或日の大石内蔵之助」…障子にうららかな日の光がさす穏やかなある日、赤穂浪士の頭領・大石内蔵之助良雄は仇討ちを果たした満足感にひたっていたが、早水藤左衛門が語り出した話をきっかけに心が曇っていく。
- 「戯作三昧」…日常の些細な出来事に心を惑わされながらも、戯作三昧にふける馬琴滝沢瑣吉の姿を描く。
- 「開化の殺人」…ドクトル・北畠義一郎(仮名)の遺書に記された、罪の告白。
- 「枯野抄」…臨終の時を迎えようとしている芭蕉庵松尾桃青を囲む門弟たちの、各々の心もちを描く。
- 「開化の良人」…上野の博物館にて本多子爵が語る、友人・三浦直記との思い出。
- 「舞踏会」…鹿鳴館にて舞踏会デビューした当時17歳の明子と仏蘭西のとある海軍将校との出会い。
- 「秋」…信子と俊吉は周囲の人から結婚するに違いないと予想されるほどの間柄だったが、彼女は大学卒業後に突然別の男性と結婚してしまい…。
- 「庭」…中村家の庭とそこに住む人々の移り変わり。
- 「お富の貞操」…立ち退き後の店に侵入した乞食の男が、そこの召使いであるお富と鉢合わせて…。
- 「雛」…ある老女が、自分の雛を手放すことになった15歳のときの出来事を語る。
- 「あばばばば」…保吉がよく訪れる店にいる、女性店員の変化。
- 「一塊の土」…倅に死に別れたお住と嫁のお民との暮らし。
- 「年末の一日」…年の暮に夏目漱石のお墓参りをする、「僕」とK君。
歴史上の偉人を身近に感じる
本書のなかには、歴史的に有名な人物に焦点を当て、その内面を描いた作品がある。
大石内蔵之助の心もちの変化を描いた「或日の大石内蔵之助」や、滝沢馬琴の日常を描いた「戯作三昧」、松尾芭蕉の門弟たちそれぞれの内面を描いた「枯野抄」がそうだ。
これらの人物は芥川の時代にはすでに「歴史上の人物」であり、自分たちとは異なる特別な人間のように扱われていたはずだ。
現代であればなおさらのことだろう。
しかし、作中での彼らは、私たちと同じように考え、悩む人間だ。
誤解による称賛の声に後ろめたさを感じることもあれば、自分の悪評を耳にして不快に思うことも、相手のためを装いながら実は自己満足だったことに気がついて自分を卑しく感じることもある。
本作を読むと、私たちが日常生活のなかで感じるさまざまな気持ちを、彼らも同じように抱いていたのだと思わせてくれる。
偉業ではなく内面を中心に描かれているため、1人の人間として彼らの存在を身近に感じられた。
当時の社会を舞台にした作品
芥川の代表作「鼻」「羅生門」「地獄変」などは『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』を典拠にしている。
しかし、本書の表題作でもある「一塊の土」には典拠がなく、芥川が生きた当時の社会が舞台。
本書には同様の作品がいくつか収録されており、そのなかでも「秋」は、彼が現実や日常を舞台にした初めての作品として知られている。
それ以前は古典や架空の世界をベースにしたものが多かったが、それらに頼らなくても小説が書けることを本作で証明してみせたのだ。
内容は男女の切ない恋愛物語で、あまり芥川作品が好きではない人でも読みやすいのではないかと感じた。
また、「年末の一日」の主人公である「僕」は、明らかに芥川龍之介本人。
作者自身の心理を反映しているとされる作品は多くあるが、本作ではよりストレートに作者の心理に触れることができるのではないだろうか。
作品毎に異なる魅力
今回は、歴史上の偉人の内面を描き、その存在を身近に感じられる“江戸期もの”と、芥川ファンでなくとも読みやすい写実小説を中心に本書の魅力を紹介した。
さらに、今回は詳しく取り上げなかったものの、本書収録の“明治期もの”のなかには、一部の登場人物が共通している作品がある。
それぞれの短編の持つ個性があまりにもバラエティ豊かなことに驚くとともに、そこが本書の魅力なのだろうと感じた。
広く知られた名作だけでなく、芥川の魅力をより深く知りたい人におすすめの1冊。
国立大学にて日本文学を専攻。
一般企業に就職したのち、フリーランスのWebライターに転身。
クラウドソーシングサイトを通じて、大手出版社が運営する本のポータルサイトに書籍レビュー記事を投稿した経験を活かし、2019年に書籍・情報サイト「いかけや日記」を開設。
2020年頃、宝塚歌劇団のファンに。
舞台の原作本を読む機会が増えたことから、2024年、「いかけや日記」を宝塚原作本の紹介を中心としたサイトへとリニューアル。
なお、読書スピードは超スロー。