数々の時代小説で知られる山本周五郎。
彼は1967年に64歳で亡くなっているものの、彼の小説は今でも映画化・ドラマ化・舞台化されており、たくさんの人々に感動を与え続けている。
今回は、そんな彼の小説のなかから『柳橋物語・むかしも今も』(山本周五郎/新潮文庫)を紹介する。
この2作はどちらも江戸の下町が舞台で、厳しい世の中を生きる人々の愛を描いた物語だ。
ちなみに、本書には巻頭に両作品の舞台となっている江戸の地図と「主要登場人物一覧」が、巻末には「注解」がついている。
作中にはあまり聞きなじみのない表現や多くの地名が登場するので、それらをすぐに調べることができるのはありがたかった。
収録作品・あらすじ
本書は「柳橋物語」と「むかしも今も」の2編を収録。以下に、それぞれのあらすじを紹介する。
柳橋物語
研物師の祖父・源六と2人で暮らす17歳のおせんは、大工の頭領の家・杉田屋で働く幼馴染みの庄吉から、3年ほど上方に稼ぎに行くが、帰ってくるまで嫁に行かず自分を待っていてくれるかと問われ、待っていると約束する。
庄吉は、自分が旅立った後、同じく幼馴染みで杉田屋の養子に決まった幸太がおせんに言い寄るだろう、しかし自分はおせんが待っていてくれることを信じると言い残して旅に出た。
その後、庄吉との約束を守るため幸太には決して心を開かないようにするおせん。
しかし、冷たくあしらわれても幸太はおせんを想い続け、彼女が困っているときには必ず手を差し伸べる。
近くで火事が起こったその夜も、幸太はおせんの家に飛び込んできた。
彼は病気の源六を背負い、おせんとともに火から逃げるが、途中で源六は亡くなってしまう。
火が回って逃げ場もなくなり、死を覚悟したおせんは、一緒に死んでやろうと近くで泣いていた赤ん坊をふところに入れる。
そして、懸命におせんを助けようとする幸太も…。
むかしも今も
9歳で指物屋の紀六に住みこむことになった直吉は、その不器用さから職人たちに「のろま」呼ばわりされてしまう。
しかし、親方の妻・お幸に一人娘であるまきの子守りを任されてからは、まきの方でも直吉によく懐くようになり、幸せな日々が続いていた。
まきは7、8歳になっても直吉につきまとって離れなかったのだが、直吉が17歳のとき、15歳の清次が紀六へ弟子入りすると状況は変わる。
機転が利き物覚えも早い清次は、紀六の職人たちはもちろん、なにかと直吉をかばってくれた親方の六兵衛やお幸、そしてまきからも愛されるようになり、直吉の影はどんどん薄くなっていく。
その後お幸が亡くなり、六兵衛も病気で仕事に手を出さなくなると、紀六で最古参の直吉ではなく清次が店のすべてを仕切るようになった。
そのことに不満はないものの、18歳になっていたまきが清次と仲を深めていくのを見るのが辛く、直吉が店を出ようかと考え始めたとき、六兵衛が倒れてしまう。
六兵衛は直吉を枕元に呼ぶと、まきを清次と結婚させて紀六の跡を継がせたいと告げる。
さらに彼は、実は清次には博奕の趣味があると言い、彼が再び博奕に手を出さないよう清次の後見となって目を光らせてほしいと直吉に頼むのだった。
直吉はそれを引き受け、清次とまきは結婚するのだが…。
愛する苦しみ
「柳橋物語」と「むかしも今も」は、先にも述べたとおりどちらも江戸を舞台とした作品だが、ほかにも共通点がある。
作中の恋愛関係だけに注目してみると、展開がよく似ているのだ。
どちらの作品でも1人の女性が2人の男性から愛され、女性はそのうち片方の男性しか愛さない。
しかしもう片方の男性は、その女性のことを諦めずに愛し続ける。
「柳橋物語」では幸太がおせんのことを、「むかしも今も」では直吉がまきのことを愛し続けている。
たとえ相手が自分のことを愛してくれなくてもだ。
「柳橋物語」ではおせんを主人公に物語が展開していくので、おせんが幸太に心を開かない理由はよくわかる。
しかし、はっきりおせんに好意を伝えているのにそれを受け取ってもらえず、拒絶までされた幸太はどれほど辛かったことか。
どれほど傷ついたことか。
それでもおせんを見限らずに命がけで守るなんて、彼女に対する幸太の愛情はどれほど深かったことか。
だが、本作で辛い思いをしているのは幸太だけではない。
おせんと庄吉は結婚の約束を交わしただけですぐ離ればなれになった。
恋の成就が保留された状態であり、お互いに相手からの愛情を受け取れない、感じられない状態になっている。
おせんからすれば頼りたいときに庄吉はそばにはおらず、彼が自分を愛していることを信じて強く生きていくしかない。
それは庄吉の立場でも同じことで、本作では全員が片思いの状態になっているともいえる。
あのときの庄吉との約束が、一瞬にしておせんの運命を決定づけてしまった。
誰が悪いわけでもない、ただ愛しただけなのに、ちょっとしたボタンの掛け違いでこんなことになってしまうなんて。
真っ直ぐな幸太の愛がおせんを通じてこちらの胸にも突き刺さり、泣けてくる。
一方の「むかしも今も」では、まきに片思いする直吉が主人公。
貧しい環境で育ち、苦労続きだった直吉にとって、幼いまきと一緒に遊んだ日々が最も幸せな時間だった。
にもかかわらず、まきが清次と愛し合い、仲を深めていくのを間近で見ながら働くはめになれば、店を出ようと考えるのが自然だろう。
しかし、そんなタイミングで親方が倒れ、清次とまきの結婚が確定し、店を出るどころか後見として今後ずっと2人を見守らなくてはならなくなる。
このとき直吉は、自分の感情よりまきの幸せを優先するのだ。
「柳橋物語」の幸太と違って、直吉は不器用な人間だ。
面と向かってまきに自分の気持ちを告げることはない。
ただひたすらに、直吉は彼女の幸せを守り続ける。
まきは子どもの頃から直吉に守られて苦労知らずだ。
結婚してからは苦労もするが、辛いときには直吉が全力で彼女を支え、ときには苦労を肩代わりしてくれる。
しかも直吉は清次からまきを奪い取ろうなんて考えもしない。
まきの幸せのために、つまりは清次とまきが夫婦としてうまくやっていけるように、そのために彼は働く。
本当にお人好しすぎて、愚直すぎて、直吉は報われるのか、どうか報われてほしい、読み進めるほどそんな気持ちになった。
生きる苦しみ
「柳橋物語」「むかしも今も」は、ともに作中で災害や貧困、人の死が描かれる。
「柳橋物語」のおせんは両親を亡くしており、作品の始めからすでに裕福な生活ではなかったが、暮らしを支えていた祖父・源六の病気によって生活がさらに苦しくなる。
そこから、地震、火事、水害が彼女を襲う。
また、「むかしも今も」でも直吉は貧しい家庭で育っているし、まきと清次の結婚後には大きな地震が起こっている。
江戸時代では火事や地震で家を失うことが今より多かったのだと思う。
苦しいときには隣近所と助け合って生きていくのだが、災害や貧困は自分を助けてくれた人の命もあっさり奪っていく。
おせんやまきも命はあったが災害の後遺症を負う。
そして生き残ったからには貧しさにも耐えて、なんとか生きていかなければならない。
明日からどうやって食べていくか、生きる道を考えなければならないのだ。
そんな過酷な環境でおせんや直吉たちが望むのは、お金持ちになって好き放題したいとか、この世の中を変えたいとか、そんな大それたことではない。
ただ、愛する人と一緒に幸せに暮らしたい。
それだけなのだ。
彼らはその小さな、けれど大切な望みを叶えることができるだろうか。
人間は苦労するようにできている
江戸時代を舞台に本当の愛を描いた2作。
ハラハラドキドキな展開が満載の恋愛ドラマとは違って、地に足をつけて必死に生き、愛を貫こうとする人々の実直な姿が印象的だ。
生きることはこんなにも苦しい、人を愛することはこんなにも辛い。
それは江戸時代も今も、そして国が違っても変わらないのだろう。
けれども、過酷な環境のなかにある希望は愛なのだと思う。
ささやかな幸せを夢見て、人は生きている。
今は辛いかもしれない、苦しいかもしれない、それでも真っ直ぐに生きていれば、幸せはきっと訪れる。
そんな温かさに包まれる作品だった。
国立大学にて日本文学を専攻。
一般企業に就職したのち、フリーランスのWebライターに転身。
クラウドソーシングサイトを通じて、大手出版社が運営する本のポータルサイトに書籍レビュー記事を投稿した経験を活かし、2019年に書籍・情報サイト「いかけや日記」を開設。
2020年頃、宝塚歌劇団のファンに。
舞台の原作本を読む機会が増えたことから、2024年、「いかけや日記」を宝塚原作本の紹介を中心としたサイトへとリニューアル。
なお、読書スピードは超スロー。