夢幻能と新陰流の極致(『柳生十兵衛死す 上・下 山田風太郎傑作選 室町篇』山田風太郎/河出文庫)


山田風太郎による「十兵衛三部作」の最終作、それがこの『柳生十兵衛死す』だ。

本書「編者解説」によると、本作は1991年から1992年にかけて新聞で連載された作品。

『柳生忍法帖』と『魔界転生』は新聞連載時に異なるタイトルで発表され、のちに改題されていたが、本作は初出時から今日に至るまでタイトルの変更はない。

忍法帖シリーズで柳生十兵衛を主人公とした2作品に続く物語でありながら、室町時代を舞台にした「室町もの」に属するという、山田風太郎の小説のなかでもシリーズの垣根を越えた作品だ。

そして本作は、彼が残した最後の長編小説でもある。

数々の危機を乗り越えてきた天下無敵の剣人・柳生十兵衛の死。

一体彼はどのような最期を迎えることになったのだろうか。

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あらすじ

山城国相楽郡大河原にて、柳生ノ庄のあるじ柳生十兵衛の死体が発見された。

脳天から鼻ばしらにかけて、絹糸のような刀のすじが残っている。

一体誰があの柳生十兵衛を斬ったのか?

しかもよく見てみれば、十兵衛のただひとつの目がつぶれ、開かないはずの目が開いている。

これは一体どういうわけなのか?

ここから話は遡る。

慶安2年のある日、柳生陣屋にてあるじの柳生十兵衛と能楽師の金春竹阿弥が剣と能の問答を交わしていた。

竹阿弥は「世阿弥」という能を作るために柳生の庄近くの大河原で稽古を重ねており、ときどき陣屋を訪れているのだ。

彼が自分の先祖である世阿弥に変身することを念願としていると言うと、十兵衛も変身してみたい人がいると返す。

その人とは250年ほど前の先祖で、新陰流のもととなった陰流の使い手、しかも名前が同じ柳生十兵衛だという。

その後、竹阿弥の息子で十兵衛の弟子でもある金春七郎が刺客に狙われる事件が起こり、十兵衛が七郎の用心棒となるものの、清水の舞台で敵に追い詰められてしまう。

絶体絶命かと思われたそのとき、十兵衛は笛、鼓と竹阿弥の謡の声を聞く。

振り向くと舞台の下から七重塔が出現し、彼はとっさにその屋根に飛び移った。

話は遡って応永14年のある日、将軍足利義満の四男坊・足利義円に目をつけられた安国寺の一休坊主と能楽師の世阿弥を、将軍家御供衆の頭人である柳生十兵衛が救った。

複雑な事情を抱えた一休母子は義円だけでなく南朝の遺臣にも狙われ、十兵衛が彼らの用心棒となるものの、一休の母・伊予が義円にさらわれ、助けに向かった相国寺七重塔で敵に追い詰められてしまう。

絶体絶命かと思われたそのとき、十兵衛は笛、鼓と謡の声を聞く。

下界をのぞきこむと雲が無数の船の橋に変わっていき、彼はとっさにその雲の船橋に飛び移った。

こうして2人の剣士と能楽師は250年の時を超えて入れ代わったのだった。

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タイムマシンが能

本作は江戸時代を舞台にした時代小説だが、それと同時にタイムトラベルするSF小説でもある。

しかし、江戸時代に機械仕掛けのタイムマシンが存在するわけがない。

そんな本作において、世界観を損なうことなくこのタイムトラベルを実現させているのが能だ。

作中には以下のような記述がある。

 能にあまり関心のない十兵衛でも、能の大半は、旅の僧の前に亡霊があらわれて、過去の世界を物語るというしくみになっていることは知っている。それを夢幻能(むげんのう)と呼ぶとも、いつかきいたことがある。

『柳生十兵衛死す 上 山田風太郎傑作選 室町篇』p.72(山田風太郎/河出書房新社/2020)

また、竹阿弥は夢幻能についてこのように話している。

「その世阿弥の言葉によれば、能は変身の芸でござる。その変身の極限は、変身相手の人間そのものになりきることでござる。いま私が世阿弥に見えたとやら、どうやら今日(こんにち)ただいま、その域に達したようで。……」
〔中略〕
「夢幻能はまた亡霊の世界であるとも申せまする。これを見物する人を、亡霊が生きておったころの世に送りこむ芸術でござります。もしいまあなたさまに金閣寺が見えたとすれば、それは世阿弥が生きておったころの金閣寺であったのでござりましょう。……」
〔中略〕
「夢幻能とはよくぞ申しました。それは夢幻でござります。が、私の望むところは夢幻ではござりませぬ。この芸のきわまるところ、まったく過ぎし世そのものへ飛ぶことができると信じております」

『柳生十兵衛死す 上 山田風太郎傑作選 室町篇』p.75-76(山田風太郎/河出書房新社/2020)

一方の世阿弥は、こう語る。

「これを逆に、過去の世界の人間から見れば、現在のワキに呼び出されて現在に出現することになる。すなわちシテは未来へ翔んだことになります」
〔中略〕
「能は過去を呼び出すと同時に、未来へ翔ぶ芸なのでござります」

『柳生十兵衛死す 上 山田風太郎傑作選 室町篇』p.290(山田風太郎/河出書房新社/2020)

呼び出された亡霊が過去の世界を物語る夢幻能。

変身の芸を極めれば、変身相手が生きていた過去の世界に行くことができる。

逆に変身される側は亡霊として現在に出現する。

能をタイムマシンとして機能させた、このアイデアが天才的だと思う。

この設定により、江戸時代の世界観はそのままに、タイムトラベルと入れ代わりの原理にそれなりの説得力が出てくる。

さらに、タイムトラベルできるのは変身し得る能力の持ち主だけ、という制限があるのもいい。

変身の芸である能を極めた竹阿弥と世阿弥が入れ代わるのはある意味で当然かもしれないが、2人の柳生十兵衛が入れ代わるのは、彼らが剣を極めた達人だからなのだ。

慶安の柳生十兵衛の新陰流はおのれの分身を作り出す剣法、室町の柳生十兵衛の陰流はおのれの心を隠し相手の目から姿を消す剣法。

能の奥義にも通じるそれらの使い手だからこそ、彼らも変身が可能なのだ。

その理屈にも自然と納得してしまった。

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2人の柳生十兵衛

本作では、これまでも山田風太郎作品のなかで主人公を務めてきた慶安の柳生十兵衛三厳の物語と、三厳の先祖にあたる室町の柳生十兵衛満厳の物語が同時に進行する。

「みつよし」の漢字が異なるだけで同じ名前を持つ2人は、もちろん別人なのだが、その名の通りさまざまな面で似ており、そして少しだけ異なっている。

例えば、彼らはどちらも隻眼なのだが、三厳は左目が閉じており満厳は右目が閉じている。

また、どちらも愛刀三池典太光世をふるう天下無敵の剣士であることに間違いはないが、先に述べたように、三厳の剣は新陰流で、満厳の剣は陰流だ。

さらに、社会的な立場より剣の道を極めることを生きがいと感じ、理不尽なことには屈しないという信念は共通しているものの、三厳は豪快無比な性格、満厳は落ち着いていてあまり動じない性格なようだ。

そのため、2人が入れ代わると、室町の人々は十兵衛が突然「ぐわはははは!」と笑い始めることに困惑し、慶安の人々は十兵衛が陰気になったことを不審に思う。

また、本作は『柳生忍法帖』『魔界転生』のようなチームバトルものではない。

行動を共にする仲間や守るべき存在、目の前に立ち塞がる敵などはいるのだが、これまでのように絶対悪を倒すというストーリーではないのだ。

にもかかわらず十兵衛は自分の剣を試すために自ら面倒ごとを引き受け、徐々に異質な存在になっていく。

しかも2人の十兵衛は、偶然にもお互い絶体絶命のタイミングで入れ代わり、死んだものと思われているところへ平然と姿を現わすので、性格の違いとあわせてますます不気味なのだ。

そのうえ、違う時代に飛んだ彼らはその時代の常識を知らない、怖いものなしの状態。

思う存分剣を振るうことでかえって窮地に立たされることとなり、毎回先の読めない展開に引き込まれた。

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柳生十兵衛の最期を見届けて

歴史ものにタイムトラベル要素がミックスされた本作。

最強の剣士・柳生十兵衛の最期が描かれるため、これまでの彼の物語を読んできた人には特におすすめの作品だ。

また、「十兵衛三部作」の最終作ではあるものの、内容は独立しているので、本作で初めて柳生十兵衛の物語を読むという人でも問題なく楽しめる。

特に、前作・前々作で顕著だったエログロ要素が本作にはないので、それが理由で読むのを躊躇していた人も、今回の物語なら安心して読めるのではないだろうか。

ちなみに、前作『魔界転生』をマンガ化した石川賢は本作をもマンガ化しているのだが、そちらはアレンジが加えられていて原作とは異なるストーリーになっている。

また、本書「編者解説」において、本作の室町パートは『忍法創世記』が原型だとの指摘がある。

本作を読んだあとは、これらの作品との読み比べをしてみても面白いかもしれない。

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