献立は日々の悩みの種だ。
ある程度栄養バランスを整えなくてはいけないが、そのとき食べたいものも譲れない。
しかし、仕事が忙しすぎたり不規則な生活を送っていたりすると、そう毎回食事内容に頭を悩ませてはいられない。
最近は手軽かつ美味しい栄養補助食品が豊富で、そういったものを食事代わりにしてしまう人も多いだろう。
『東京タワー・レストラン』(神西亜樹/新潮文庫nex)の舞台である未来では、すべての料理がゼリーになっている。
昔のように栄養不足や偏りで体調を崩すことはなくなり、人類は健康になったのだが…。
食事が果たす役割は栄養の摂取だけではないはずだ。
あらすじ
ある日、匙足巧(通称・サジタリ)は奇妙な音で目を覚ます。
彼はなぜかレストランのテラス席に座っていた。
しかもそこは、150年後の東京タワーの中にあるレストランだったのだ。
混乱するサジタリは、さらに自分が記憶喪失になっていることに気づく。
事情を聞いたレストランのオーナー兼料理長であるモウモウは、彼に対し、ここで働いてみてはどうかと提案する。
レストランにビストロヤクザの査察が迫っており、ランチまでに美味しい新商品を製作しなくてはならないという。
そこでサジタリは厨房に立つが、ゼリー化した料理しかない未来では使える材料が限られるうえに、調理器具の使い方もよくわからない。
数々の困難のなか、果たしてサジタリはビストロヤクザを満足させる料理を作ることができるのだろうか。
個性的な登場人物とサジタリの料理
本作に登場するキャラクターは、みな個性的で魅力的。
例えば、サジタリが目覚めて最初に出会った料理長のモウモウは、牛人間だ。
もう少し詳しく説明すると、未来の畜産物はクローン生産が基本となっており、3D出力時にときどきエラーが起こる。
結果的に、遺伝子構造は牛でありながら身体構造は人間、というモウモウのような生物が誕生してしまうという。
このほかにも、なぜか天井裏から出てこないウェイトレスのヒナカ、レストランに迷い込んだ家出少女・繊月、繊月と同じ年頃でありながらビストロヤクザのリーダーを務める春亥など、癖のある人ばかりがこの東京タワー・レストランに集うことになる。
そして、サジタリは彼らと接するうちに、みなそれぞれのトラウマを抱えていること、それらを料理によって解決できるのではないかということに気がつく。
サジタリが作る、彩り豊かでさまざまな味と食感を楽しめる料理は、現代人の読者にとっても魅力的に感じられるはずだ
本作を読むと、日々の食事の中で忘れがちな、誰かのために料理を作る人の想い、料理や食事が人に与える力を実感できる。
物語にちりばめられた謎
一方、本作の中にはたくさんの謎が含まれている。
最初の謎は、サジタリのタイムスリップと記憶喪失に関するものだ。
彼は一体何者で、どうしてこのレストランにいたのか。
また、ウェイトレスのヒナカの正体も謎だ。
天井裏にいる彼女は、サジタリに挨拶されるなり、「私を観測するのをやめて。量子がもつれるわ」という変わった発言をする。
なにやら事情があって素性を隠さねばならないようだ。
そして、東京タワー・レストランでの出来事の間に語られる源馬廻というグルメ冒険家の物語も、サジタリたちの物語にどのような関係があるのか気になる。
サジタリの料理とあわせて、これらの謎がどのように解明されるのか、そしてどのような結末を迎えるのかも本作の注目ポイントだ。
料理・食事の楽しさを描いた物語
料理・食事には、人生の大切な記憶を思い出させたり、人生観を変えたりする力がある。
もちろん、それ自体が思い出になることもあるだろう。
未来のゼリー食はもちろん、現代のサプリメントに頼った食事や、時短のために栄養補助食品だけですませてしまう食事にそのような温かさはない。
サジタリが作る料理は人々を感動させ、人生における大切な一歩を踏み出す勇気を与えていく。
本作は、料理や食事本来の楽しさや温かさを再認識させてくれた。
また、人と人が支え合い、繋がっていくためにも、料理は大切な存在なのだと感じた。
普段コンビニやスーパーの惣菜に頼りがちな人も、これを読むと誰かに料理を作ってあげたくなるかもしれない。
国立大学にて日本文学を専攻。
一般企業に就職したのち、フリーランスのWebライターに転身。
クラウドソーシングサイトを通じて、大手出版社が運営する本のポータルサイトに書籍レビュー記事を投稿した経験を活かし、2019年に書籍・情報サイト「いかけや日記」を開設。
2020年頃、宝塚歌劇団のファンに。
舞台の原作本を読む機会が増えたことから、2024年、「いかけや日記」を宝塚原作本の紹介を中心としたサイトへとリニューアル。
なお、読書スピードは超スロー。