弱く愚かな人間を描いた幻想的な怪奇譚(『雨上がり月霞む夜』西條奈加/中央公論新社)

江戸時代後期から流行した読本。

中国の白話小説の影響を受けた伝奇小説のことで、同時代に流行した草双紙が平易な文章で書かれているのに対し、漢語や漢文が多く使用され文学性が高いところが特徴だ。

上方で発展した前期読本と江戸で発展した後期読本に分けられ、前者の作者としては都賀庭鐘や上田秋成、後者の作者としては曲亭馬琴や山東京伝などがいる。

そのなかでも上田秋成が書いた『雨月物語』は、幽霊や鬼などの怪奇現象とともに人間の業の深さを描いた名作として名高い。

今回は、そんな『雨月物語』に現代的解釈を試みた連作短編『雨上がり月霞む夜』を紹介する。

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あらすじ

大坂堂島で紙油問屋『嶋屋』を営んでいた上田秋成は、今年初めの火事で店を失い、幼なじみ・雨月の住む常盤木家に厄介になりながら都賀庭鐘のもとで医学を学んでいた。

雨月は体が弱く、離れで俳句や書、和歌を相手に暮らしているのだが、実は霊や妖しの勘に優れた体質。

ある日彼らは兎の妖怪・遊戯と出会い、一緒に暮らすことになる。

雨月とは異なり、霊感など全くない秋成だったが、遊戯と出会ってからはたびたび不思議な出来事に遭遇するように。

そしてそれらの出来事の先で、秋成は雨月の正体を思い出す。

なお、本作は「紅蓮白峯」「菊女の約」「浅時が宿」「夢応の金鯉」「修羅の時」「磯良の来訪」「邪性の隠」「紺頭巾」「幸福論」の9編による連作短編。

それぞれ『雨月物語』の「白峯」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の婬」「青頭巾」「貧福論」をアレンジした物語になっている。

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江戸時代の風流な世界観

あらすじからもわかるように、本作は『雨月物語』の作者とされる上田秋成が主人公になっており、実際に彼が生きた江戸時代の大阪が舞台。

しかし、本作で描かれるのは町人の元気の良い暮らしぶりではなく、知識人たちによる風流さを感じさせる生活が中心だ。

花鳥風月の情景描写や雨月たちが詠む詩歌の存在によるものだろうか。

また、作中においても秋成は文学の道を志しており、江戸時代の文学の種類、読本や草双紙、気質物などについて触れている箇所もある。

さらには秋成の医術の師であり『繁野話』の作者でもある都賀庭鐘や「浪速の知の巨人」として知られる木村蒹葭堂など、歴史上で上田秋成と交流のあった知識人たちも登場しており、本当にこのようなやりとりをしていたのかもしれないと想像しながら読むのも楽しい。

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不思議譚を引き起こす人間の弱さや愚かさ

そんな雅な暮らしのなか、秋成の周囲で祟りとでもいうべき奇怪な出来事が起こり始める。

実際、それらにはこの世ならざるものが関わっているのだが、死者に生者を呪う力はないと雨月はいう。

そう、不可解な事件を引き起こしているのは生きた人間であり、そこには必ず愚かな妄念があるのだ。

逆に、書き手としてだけでなく医者としても一流の都賀庭鐘や、あらゆる学問・趣味に通じる木村蒹葭堂など、仁徳があったり人生を謳歌していたりする人々は妄念とは無縁のため、妖しは全く見えず、不思議な現象が起こっていても気づかない。

できれば私も妖しとは無縁の人間でありたいものだが、本作で描かれる人間の弱さや愚かさには、心当たりがあるものもあった。

また、秋成自身も父から継いだ『嶋屋』を商いの才がないばっかりに潰してしまったことや医者として一人前になるまで妻や母を待たせてしまっていること、読本を書く才能がないことなどに悩んでいた。

さらに、彼には目を背け続けている過去があり、物語の終盤ではそれと正面から向き合うことになる。

人は自らの弱さを認めて初めて前に進めるのかもしれない。

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弱さを乗り越えて

江戸時代の怪異譚『雨月物語』をもとにした美しく妖しい世界観とともに、人間の弱さや愚かさを描き出した本作。

『雨月物語』や上田秋成について知らなくても十分楽しめるが、知っている人はより楽しめるだろう。

妖怪や幽霊が登場する作品が好きな人や、時代小説が好きな人にもおすすめだ。

頭でっかちに理屈をこねてばかりいてはいつまでも成長できない。

自分自身を見つめ直して当たり前の生活を当たり前に送り、人生を充実させてこそ、人は幸せになれる。

私ももっと図太く生きていかねばならないと感じた。

弱さを乗り越える力を与えてくれる作品。

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